阿仏尼の墓


扇ヶ谷の武蔵大路沿いにある阿仏尼の墓。
阿仏尼は『十六夜日記』の著者で、1277(建治3)年10月29日に鎌倉に入って、それ以降は鎌倉に住んだ。
平 度繁の娘で高倉天皇の皇子である守貞親王の娘の安嘉門院邦子に仕えて安嘉門院四条とも称された。
藤原定家(冷泉家)の息子の藤原為家の後妻として冷泉為相を産んだ。この冷泉為相も鎌倉に住み、鎌倉に墓がある。
そもそも、阿仏尼が京都から鎌倉に下ったのは、藤原為家の死後に、播磨国細川荘の地頭職を先妻の子の二条為氏と争って訴えるため。
細川荘の地頭職は阿仏尼は1283(弘安6)年に亡くなったが、訴訟は冷泉為相が引継ぎ、1313(正和2)年に勝訴している。




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