古河城本丸跡(古河、鎌倉街道中道)


現在は河川改修ですっかり面影が消えてしまっている。
かつては、ここに古河城があった。そして、初代古河公方足利成氏(1434-97)が古河公方館(鴻巣の御所)から移り住んだ。
成氏は第4代鎌倉公方足利持氏の子。鎌倉公方足利持氏は籤引き将軍室町幕府第6代将軍足利義教に叛旗を翻し(永享の乱[1438])、関東管領上杉憲実、千葉胤直によって攻められ鎌倉で自害。一旦は鎌倉府は断絶するが、関東武士団の強い願いで1447(文安4)年に上杉憲実・憲忠(関東管領)父子によって遺児の成氏が鎌倉に招かれ復興。
しかし、鎌倉公方成氏の周辺に集まる関東武士団と関東管領上杉氏との間の溝が開き、上杉氏の重臣の長尾景仲、太田資清が成氏との間で1450(宝徳2)年に江ノ島合戦が勃発。
一度は収まるものの、1454(享徳3)年、足利成氏が先制し、西御門御所で上杉憲忠を誅伐。1455(享徳4)年に第5代鎌倉公方足利成氏は京都の室町幕府のバックアップを得た上杉軍の圧迫を逃れるため鎌倉を後にした。
ここから京都の応仁の乱に匹敵する関東の享徳の大乱となっていった。
その一方の舞台がここだったことになる。






This page is powered by Blogger. Isn't yours?

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送