姿見の池(国分寺、鎌倉街道上道)


鎌倉時代に坂東七平氏の名門秩父党の首領畠山重忠と恋に落ちた夙妻大夫。
相思相愛の仲だったが、重忠が平家と西国で戦っている間に横恋慕した男が夙妻大夫に重忠が戦死したと伝える。
夙妻大夫は悲しみのあまり姿見の池に身を投げてしまったという。
実は重忠は生きていたのであるが、夙妻大夫はそれを確かめる術がなかったがため、加えて重忠を思うあまりの悲劇だったといえる。
姿見という名は街道沿いの恋ヶ窪の遊女が池に自分の姿を映したためだとか。
池は残念ながら昭和40年代に埋め立てられてしまった。しかし、伝説は残り、人々の心を動かし続け、平成10年に現在の姿に再生された。








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