太刀洗(十二所、鎌倉)


梶原景時が上総介広常を斬った刀を洗った場所。上総介邸は現在の朝比奈切通し近くにあった。今では、この辺りは訪れる観光客も少なくひっそりとしている。かく言う私もバスに乗って鎌倉霊園/太刀洗で降りたものの太刀洗の場所が分からず、霊園の太刀洗門の向こう側に見えた住宅街で住民の方に道を教わった次第。
そこでの収穫は太刀洗が朝比奈切通しの入り口にある小さな滝ではなくて、その手前にある竹筒から流れる水がそうであることや、切通しの奥に鎌倉を守護する熊野神社が鎮座していることを教わったこと。
さて、『吾妻鏡』では梶原景時が上総介広常を斬った話は出てこない。その翌年の1184年1月8日 戊戌の記事に

「上総の国の一宮(玉前神社)の神主らが、亡き上総介広常が生きていた時に宿願があったと届け出る。」とあり、前年に上総介広常は一宮に謀反の宿願を行った疑いありということで、梶原景時によって誅されていることを示唆している。この記事は「広常は甲を一宮の宝殿に納めたという。武衛(鎌倉殿)が使節を派遣してその宿願を見させる。果たして広常に謀反の心があったかどうか。派遣したのは藤判官と一品(昌寛)房らで甲を二つ持たせた。これは広常が奉納した甲は既に神宝であるために単に差し出せとは言えないため二つの甲で広常の甲と取り替えることで神の祟りはないだろうという趣旨。」だとしている。






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