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鎌倉街道上道 狭山篇

西武新宿線の狭山市駅西口。この狭山市駅を東西に貫く通りが旧鎌倉街道の上道だとされている。
ところが当日、地図と睨めっこしたにもかかわらず、脇の道を進んでしまい。
武蔵33観音霊場の第16番札所慈眼寺に足を向けてしまう。もちろん、わざと間違えた訳ではない。そこで、これから鎌倉街道探索の旅に出る方々に一つ。
鎌倉街道は「サティ」の脇を走っています。場所が良く分からなかったら、鎌倉街道はどこですかと聞くよりも、サティはどこですかと聞いたほうが分かりやすい。もう一つ、タクシー会社の車庫のすぐ横の道を図書館に向けて通っているのが鎌倉街道と考えられている道。

まるで切り通しのよう。ここは図書館のすぐ近く。ここを少し進むと新田義貞ゆかりの徳林寺。

そして、これが目印のサティ。今日の昼食はここで摂る。写真は16号線の歩道橋から。この向こう側が鎌倉街道。
この道を東に向かうと、新田義貞の駒繋の松がある八幡神社。この神社の前の道も実は鎌倉街道ではないかと考えられている。
一方、サティの向こう側の道を徳林寺からまっすぐ歩くと、

道は16号に出て、その先は入間川。

写真の奥の橋の手前の茂みが新田軍と北条軍が激戦を繰り広げた「八丁の渡し」だと伝えられている。
16号を鎌倉街道山ノ道が走る瑞穂(東京都)方面に少し行くと、木曾義仲の子で、源 頼朝の娘の大姫の夫の清水冠者義高が、頼朝の放った刺客の藤内光澄によって討たれた地。
その終焉の地には、大姫と北条政子母子によって建立された清水八幡宮がある。


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