高安寺



府中は片町にある高安寺。門前を甲州街道が走っていて、その南側は全て高安寺が占め、町が片方に寄っていたので片町なのだとか。
この高安寺の始まりは、940(天慶9)年に俵藤太秀郷が館に市川山見性寺という寺を建立したことにまで遡れるらしい。
そうそう、源 義経一行が鎌倉入りを許されず、京都へ戻る折に立ち寄って赦免祈願をした所縁の「弁慶硯の井」の古跡も必見。
ちなみに、寺紋は足利家の「丸に二引両」。
そう、足利家ゆかりの寺なのです。
足利尊氏が全国に「安国寺」を造った際に、廃れていた寺が「武蔵国安国寺」として再興。「龍門山高安護国禅寺」として臨済宗建長寺に連なったとのこと。
近くに鎌倉街道が走っていたこともあって、この寺は度々合戦の舞台となっています。1333(正慶2)年の分倍河原の戦いでは新田義貞が本拠としましたし、室町時代には鎌倉公方の本営にもなっています。


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