北野天神社(所沢市、鎌倉街道上道)


神社の横を南北に走るのが旧鎌倉街道上道。
この天神社は995(長徳元)年に菅原道真の子孫の菅原修成が武蔵守時代に京都の北野神社を勧請したのが始まりという。
もっとも、多くの古社がそうであるように、ここもかなり古くからの聖地であって、天神社が勧請される以前は延喜式内社入間郡五座の一つの物部天神・国渭地祈神社が鎮座していたと伝えられている。
この名前、東京の調布は深大寺の横にある青渭神社を彷彿とさせる。両方とも出雲系。
深大寺は古くは武蔵七党の西党の狛江氏の本拠地、北野天神の周辺は同じく武蔵七党の村山党の山口氏の本拠地。
西党と村山党だけれども、歴史の奥底に出雲(物部)系の繋がりがあったりするなのだろうかともあれ、この神社、鎌倉街道に面していることから想像出来るように、源義家、源頼朝、足利尊氏と源氏の流れを汲む武将によって社殿が造営されてきた。また、境内の大納言の松は前田利家によるものとされる。







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