文覚上人の屋敷跡

大御堂橋を渡ってすぐのところにあるのが、文覚上人の屋敷跡。
文覚上人と言えば、源 頼朝のブレーンの一人。そのまま伊豆の地方武士に留まるところだった頼朝を平家打倒に立ち上がらせた人物。
上人は俗名を遠藤盛遠といい、鳥羽天皇の皇女上西門院に仕える北面の武士。
あろうことか同僚の源渡の妻の架裟と恋に落ち、源渡を殺して駆け落ちしようとする。
ところが、盛遠のことを愛していながらも夫を殺すにしのびなく思った架裟は、身代わりとなって盛遠の手にかかってしまう。
盛遠が源渡と思って殺してしまったのは最愛の架裟。
盛遠は罪の深さを懺悔して出家。
これだけでも波乱の人生と言えるのに、これだけでは終わらない。
出家した後に、荒廃していた京都高雄の神護寺復興のために働くものの、その働きを快く思わないものの手で伊豆に流される。
そこで、同じく流人の源 頼朝に出会い、荒れ果てた日本を立て直すことが出来るのは頼朝しかいないとして、渋る頼朝に兵を挙げることを勧め、京都と伊豆を往復して鎌倉幕府樹立へと動く。
ところが、頼朝が亡くなると朝廷の反幕府主導者の源通親によって佐渡に流され、許されて京都へ戻ると今度は後鳥羽上皇によって対馬に流される途中で亡くなっている。
波乱万丈というのは、この人のためにある言葉のような気がしてくる」






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